『けものフレンズ2』の構造上の欠陥ージャパリパークは「動物園」である
この記事は
にもとづき話が進みます。
筆者は「オフィシャルガイドブック」を持っていないので、誤った情報があれば随時ご指摘ください。
混乱したとき迷ったとき、そんなときは原点に戻ろう。
ジャパリパークは「動物園」である。
公式サイト(アニメ1期)のホーム画面
2017年のヤオヨロズ制作アニメ『けものフレンズ』を見て、感動した人は多いと思う。私もそのひとりだ。
また、続編であるトマソン制作のアニメ『けものフレンズ2』を5話まで視聴している(2019年2月18日現在)。
そしてここまでの視聴で思うことがたくさん浮かんできたので、それを整理する目的もあって記事を書くことにした。
本題の前に、このようなスタイルで話を進めたかったのは、1期『けものフレンズ』を扱ったあるブログの記事に感謝をしたいからだ。
honeshabri.hatenablog.comあなたの記事のおかげで、私はこの作品をより深く愛することができました。厚く御礼申し上げます。
1期『けものフレンズ』に見える「行動展示」というコンセプト
まずは原点から考えてみよう。
けものフレンズプロジェクトの舞台はジャパリパークだ。ジャパリパークは動物園なのだから、私たちはまず「現実の動物園」について詳しく知ろう。
「現実の動物園」をイメージしたときに私が真っ先に思い浮かべたのは、「旭川(あさひかわ)市旭山(あさひやま)動物園」だった。
そこで読んだのがこの1冊。これが「当たり」だった。
旭山動物園長(当時)の小菅(こすげ)さんと到津(いとうづ)の森公園長の岩野さん、それと霊長類研究者の島さんによる本である。
園長が互いの動物園を訪れた対談を交えながら、両園の挑戦の歴史が簡潔にまとめられている。
読みやすくて分かりやすい、良著だ。
特に旭山動物園は、それまで日本で一般的だった「形態展示」という方法から「行動展示」に変更し実践した先駆者である。
そして、アニメ1期『けものフレンズ』のおけるアニメーションのコンセプトこそ、旭山動物園の「行動展示」だったと私は考える。
行動展示(こうどうてんじ)または行動学的展示(こうどうがくてきてんじ)とは、その動物の生態やそれに伴う能力を、自然に誘発させて観賞者に見せるように工夫した展示。日本では旭川市旭山動物園で有名になった。
これに対し、生きた動物の身体的特徴を見せるだけの展示を形態展示という。
『ウィキペディアー行動展示』(2019/2/16 0:21閲覧)
ここから、1期『けものフレンズ』のアニメーションと行動展示の関連性と、『けものフレンズ2』の欠陥を資料を元に考えていこう。
初めは「アニメにおけるコンセプトがいかに大切か」ということだ。
コンセプトは作品にとって大切な「一貫性」のもと
コンセプトデザインおよびキャラクターデザインの吉崎観音さんのインタビューより。
実在の動物をキャラクター化するうえで注意したポイントはどこにあるのだろうか。
「なるべくシンプルに、でもできるだけその動物がもっている特徴は入れる、です。アニメのためのキャラクターデザインなら、全身に斑紋(はんもん)を入れたりするのはなるべく避けますが、この企画のコンセプトを明確にするために、最初のサーバルから全身に斑紋を入れました。それからツノは髪の毛で、シッポは服と干渉しない、など動物たちが女の子になったとき、日常生活に支障を来たさないような設定をしました。鳥の場合は頭から羽が生えているようにしています。手が羽だとご飯が食べにくいですからね」
──今回、Vコン(ビデオコンテ)で制作されていますが、その手法を取られた理由は何ですか?
たつき:先ほどの話にもあった、しぐさや動きを大事にしたいというのがありました。それに吉崎先生との打ち合わせのなかで、「間や感情も大事にしたい」という話が出たんです。それなら間や空気感を先行してしっかりつくれるVコンがいいんじゃないという話になりました。たとえば、サーバルがしっぽをタンタンとやっている時のリズムとか、そういうものは絵コンテでは表現しきれないので、今回はVコンを選択してよかったと思っています。そのためにご迷惑をおかけすることになってしまった方々もいるんですが(笑)。
上記で二人が述べているのは「たかがシッポと服の話」かもしれない。
でもコンセプトをデザインする利点を考えよう。
先にキャラクターの行動や舞台のコンセプトをデザインすることで、製作陣の方針が定まり、最後まで迷いなく効率的にアニメーションを製作することができる。
またコンセプトが守られていれば、媒体が変わっても視聴者は大まかに同一性を感じることができる。好きなブランドをイメージすれば分かりやすいと思う。
アニメに限らず、製作するチームを導き、視聴者に安心をもたらすのがこうした「一貫性」であり、そのもとになるのがコンセプトなのだ。
もしこれがきちんと定まっていなければ、トラブルは避けられない。
※シッポと服の関係は、上の吉崎さんの説明だけだと媒体によって食い違っているが、補完する設定があるので気になった人は自分で調べてみよう。
次は、現実の旭山動物園における「行動展示」の話に移ってみよう。
1期1話と重なるホッキョクグマのエピソード
まず、先に紹介した本『戦う動物園』より動物の行動と能力が自然に出てくる話を読んでほしい。
旭山動物園のホッキョクグマの映像が、あるテレビ番組で紹介されたことがある。アイドルの若い女の子に白いアザラシの帽子をかぶらせて、ホッキョクグマの水槽の前に立たせるという趣向だった。(中略)
クマの形相が変わった。崖の上から300キロの巨体がジャンプした。
窓いっぱいに水しぶきがあがり、アクリルの厚いガラスにぶつかって鼻先が曲がるほど、クマは本気だった。(p5)
【4K】冬の旭山動物園 しろくま もぐもぐタイム 豪快ダイブ Polar bears Asahiyama zoo 北极熊Asahiyama动物园
アイドルは腰を抜かし、泣きながら出口へ、なんとか這(は)って逃げようとした。
小菅は説明する。
「あの水面は、ホッキョクグマからはちょうど人の顔だけが浮かんで見えるように設計されているんです、人の頭が好物のアザラシに見えるように。彼らは人が驚く様子がわかるから、ときどき飛びこんで気晴らしにしています。しかし、あのときはホッキョクグマの好物であるアザラシの子がいたと、ほんとうに思ったのでしょう」
世界最大の肉食獣、ホッキョクグマの恐ろしさがまがうことなく発揮された瞬間だった。(p6)
このエピソード、私の中では1期『けものフレンズ』1話の冒頭のシーンにぴたりと重なった。
それはみなさんも繰り返し見たであろう、約2分のシーンである。
木の上にいる長い耳とシッポの生えたアニマルガール(サーバル)が音に反応してジャンプ、驚いて逃げる人物(かばん)を追いかけて飛びつく、という流れ。
この1話冒頭のシーンを分析し、画面の構成物を要素として並べて旭山動物園と比較してみる。
すると、ふたつの場面は見事に重なるのだ。
「行動展示」の原理から展示・装置・施設が設計されている
展示
=飛び込んで餌を狙うシロクマの生態を見せる ために
装置
=頑丈な水槽・来園者が見やすい飼育場 を作り
施設
=自然界におけるシロクマや別の動物の関連を、来園者が「巡って」理解できる「ほっきょくぐま館」 を作る
1期『けものフレンズ』1話冒頭
「行動展示」の原理からイベント・装置・エリア(ちほー)が設計されている
イベント
=サーバルのジャンプ力・強い好奇心・アニマルガールといった特徴を理解してもらう ために
装置
=ジャンプの起点となる木と枝・かばんという未知の存在・かばんが隠れる高めの草(サーバルの人並外れた聴力で見つけるため) を配置し
エリア(ちほー)
=自然界におけるサーバルやのちに登場するカバなど生息する動物とアニマルガール・ジャパリパークの関連を、視聴者が「見て」理解できる「さばんなちほー」 を作る
ここで少しだけアニメーションの話をはさみたい。
上で分析したことを文字にして並べたのは、優れたアニメーションの技法は大量の情報を圧縮して一瞬で視聴者に理解させうる、ということをみなさんと確認したかったからである。
きっかけはツイッターだ。2月以降に投稿された『けものフレンズ2』に関するほとんどの意見が抽象的で説得力をもたない中で、具体的な比較と批判をしている方がいて、これはすごいなと思った。
その技術論からアプローチされた分析・比較と批判は、十分な説得力があった。
けものフレンズの大好きポイント④
— ネメコル (@goodsleepy2) February 3, 2019
視線でのコミュニケーションがしっかりとれている。
よく小さい頃に親や先生に「相手の話を聞くときはきちんと目を見て聞きなさい!」って言われたりしませんでしたか?相手の方を見ているかいないかでだいぶ印象が変わります。一期ではそれをしっかりやっています pic.twitter.com/1FbLXYzYu9
けものフレンズの「おぉ…」と思ったカット
— ネメコル (@goodsleepy2) February 1, 2019
かばんちゃんが木の上から下を見下ろす俯瞰の構図。右下の枝葉が重要で、これがあることによって、近景(木の上)と遠景(地面)の空間の関係がはっきりする。これっぽっちの枝葉を描くことの意味をきちんと理解してるのがすごい。 pic.twitter.com/PLYwSOaeCm
この方の「コンテによる重要性」というツイートに触発され、私なりのアプローチで考えたことが上記である。あらためて感謝を申し上げたい。
※自主制作のアニメも拝見しました。私が好きなモップは『天国の扉』のスパイクのモップです。
自主制作で作ってたアニメのアクションシーンまとめ pic.twitter.com/pYEsZbzmhe
— ネメコル (@goodsleepy2) January 14, 2019
対して私は私で、アニメーションを見るときに気になるのは「キャラクターの動きの意味」だ。たぶん、高校のころに生物の授業を好きでとっていたからだと思う。
表現の技ではなく単に生物学を知らない表現としてのアニメーションがあると気になるのだ。
もうひとつ、キャラの動きが気になるようになった影響として『もののけ姫』を作ったときのスタジオジブリのドキュメンタリーがある。
これが今でも強く心に残っている。
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特に、アシタカが高所から飛び降りて少し動きが止まって草の斜面を転ぶシーンを、宮崎駿監督が書き直すところだ。
宮崎監督が「ここで顔を見せるから主人公っぽくなってしまう(たしかマイナスの意味で)」「あんまり動きをリアルにしても、アニメにならない」みたいなことを言ってたと思う。ここまで考えるのか、と畏怖した。
さらには、若手が書いた絵に「イノシシは頭から背中にかけて盛り上がった形をしてるんだよ」といってさっと直すと、本当にイノシシになってたりとか。生物学とアニメーションをきれいに結びつけてゆく技術と彼の目に脱帽する。
このような分析力と観察力は、作家にとって鍛えるべき筋肉だ。
※余談だけど、最近の宮崎監督も出だしからエンジン全開でいいですね。BePowerもおすすめ。
「終わらない人 宮崎駿」で個人的に好きなのは気合を取り戻した駿が休憩中に言うこのセリフです。
やっぱり「風立ちぬ」もノミネートされたアカデミー長編アニメ賞を「アナ雪」に取られたのが死ぬほど悔しかったのがよくわかる‼︎このはっきり言うところが好き‼︎ pic.twitter.com/sqEZ64GtkO— デッドプー太郎 (@deadpootarou) February 13, 2019
さて、ここで旭山動物園と『けものフレンズ』の「行動展示」に話を戻そう。
「ほっきょくぐま館」も「1期『けものフレンズ』1話冒頭」のどちらも、「行動展示」の原理にもとづき方針を定め、計算されつくした上で作られているのが分かると思う。
以下は全く私の推測であることを断っておく。
1期『けものフレンズ』のたつき監督と制作チームは、けものフレンズプロジェクトのアニメ化に挑戦の意志を持ち、動物園に関する資料をくまなく集め、かつそれらを精読したに違いない。
つまり、先に述べた分析力と観察力である。
ここで再び、『戦う動物園』より引用したい。
小菅は不適にうそぶく。
「動物園で動物を見て、『かわいい』って言ってる間は、人が動物をペットか、おもちゃのように下に見ているんです。大の大人から『すごい!』という声がでなくちゃ、野生動物の命を感じてもらったことにはなりません」
驚くべき装置である。(p7)
ここで述べられている動物園と来園者の関係は、そのままスライドしてアニメ作品と視聴者の関係にも当てはまりそうだ。
そして、1期『けものフレンズ』と『けものフレンズ2』の差異もまさにここにあると思う。
タイトル回収:ジャパリパークは「動物園」である
『けものフレンズ2』を見続けるごとに強く感じたこと、それはキャラクター体の動き・行動・物語の展開のすみずみにまで及んでいる「脈絡のなさ」だ。
対して1期『けものフレンズ』には、上記に記したような極めてシンプルな「一貫性」があった。それは場面・各話・全話あるいはスピンオフに至るまで、アニメーションに「動物の生態や能力を自然に見せよう」という約束事が働いていたからである。
それこそ「行動展示」の原理だと私は思うのだ。
だが、これだけではまだ私の疑問は残る。
このような「アニメーションの原理」がなくても、作品はおもしろくなるのではないのか?
なぜなら「行動展示」の原理とは全く関係ないであろう名作もたくさんあるからだ。
では、脈絡がなくなった根本的な原因があるんじゃないのだろうか?
原因を考えてゆく前に、今回の記事のきっかけを述べさせてほしい。
それは、けものフレンズに詳しくない私の友人と話したとき、この混乱した状況を整理して分かりやすく伝えたいなと思ったことから始まる。
そういうとき私は「例え話」で考えるのが好きなのだ。
で、思いついた。「現実の動物園と来園者に例えたら、分かりやすいな」と。
さらに、後で冷静になって気づいた。「当たり前だわ」と。
そのときまで忘れていたことこそ、けものフレンズプロジェクトに共通する舞台「ジャパリパーク」は「動物園」という設定だ。
トールキンにおける「中つ国」、ガンダムの「宇宙世紀」あるいは旧約聖書における「エデン」それがけものフレンズプロジェクトにおける「ジャパリパーク」である。
公式によるイントロダクション(導入)がこちら。
この世界のどこかに造られた超巨大総合動物園「ジャパリパーク」。
そこには世界中の動物が集められ、研究・飼育が行われていました。
ところがある日、神秘の物質「サンドスター」の影響で、
動物たちが次々とヒトの姿をした「アニマルガール」へと変身!
いつしか彼女たちは“フレンズ”と呼ばれるようになり、
ジャパリパークの新たな主として、にぎやかに暮らすようになりました。
しかしジャパリパークにはフレンズの登場とほぼ同時期に
「セルリアン」と名付けられた謎の生物も出現するようになり……。
ここまで、動物の生態を自然に見せる旭山動物園の「行動展示」は、1期『けものフレンズ』のアニメーションづくりのコンセプトとして組み込まれているはず、という推測をしてきたのもこの設定があったからである。
ジャパリパークを知るために、もう少し動物園について深く考えよう。
そもそも動物園ってどんなところだった?
では、当たり前のことから確認する。動物園にいる動物の多くが「野生動物」だ。
野生の動物をあつかうことは、毎日が戦いの連続である。彼らは家畜ではないから、人間が管理するのに都合のよい特性を持ち合わせていない。むしろ、それがないから家畜にならなかったといってもよい。(p32)
彼らは家畜ではない。そしてジャパリパークのフレンズたちの多くも、決して人間が管理しやすい存在などではない。
また旭山動物園には「行動展示」の原則がすみずみまで働いている。
このコンセプトがあるからこそ「一貫性」が生まれているのだ。
この「もぐもぐタイム」(※)を「動物の『食べる姿』を通して、動物本来の能力を見ることができます」と旭山動物園は定式化する。ここには原則を貫く姿勢がある。本物のやさしさは、ダイヤモンドのように不変で硬質の確信によってしか裏打ちされない。(p47)
※公募により決まった、動物に餌をやる時間の名称
旭山動物園の動物たちとフレンズは、黄金の精神に彩られている。
2019年2月現在の旭山動物園長は坂東元(げん)園長である。『戦う動物園』には副園長だったときの彼の話も記されている。
長いけど、それに対する島さんの言葉も含めてぜひ読んでいただきたい。
坂東は、またボソッと言う。
「動物園ってなんなんでしょうねえ。ほんとうに必要なものなんでしょうかねえ?」
誤解を恐れずに解説するなら、坂東は「動物園がきらい」なのだ。それはよくわかる。もっとも、この「動物園」とは、「野生の動物への配慮のない動物園」と形容しなくてはならないだろう。
そもそも、まともな大人が「動物園」が好きというほうがおかしい。狭い檻の中を右往左往する神経症のクマを見て、憂鬱にならないとしたら、その大人の感性はすりつぶされている。羽を切られた鳥が浮かんでいる池を見て、心がなごむとしたら、その人の心は正常だろうか?(p62)
「うちで一時、『アザラシがジャンプする』っているのをやっていたことがあったんですよ。それは別に訓練したわけではなく、飼育展示係の手から魚を取るようになったので、魚を台からぶら下げてやったわけです。アザラシはものすごい勢いで水中から飛び上がってパクンって。好評でした。すごい勢いが水中から見えるわけですからね。
でも野生のアザラシはやりっこないですよね、魚が空中にいるわけないんだから。担当者も、一年くらいかけて、そこまでもっていったんですが、その餌やりは、結局やめました。『アザラシの特別な個体が自分で覚えたことだからいいだろう』って言う人もいたけれど、それはショーなんですよ。そういうことはくそ真面目に考えよう。別のことをしましょうと。そういう旭山動物園の軸があるんです」(p66)
「喜んでもらえばいい、だけじゃない」と、小菅も坂東も同じように強い口調で言う。そこには千鈞(せんきん)の重みがある。レジャー、遊び、うさ晴らし、暇つぶしなどなどに意味がないとは言わない。狂いやすい人の心にとっては、そういう軽いことがどうしても必要な場合がある。だが、それはただ浮き流れる泡沫(ほうまつ)にすぎず、ほんとうのところがないとそこで生きている意味がない。少なくとも、動物園を意味あるものにしなくては、生きていけないと感じる男たちがいた。(p66)
「どうせ、『バラエティー』ですから」という言い方で、テレビ番組をどんどん低俗化させている風潮がある。そこでは、買い物するチンパンジーや、立ち上がるレッサーパンダが人気者である。「視聴率がとれればいい」「スポンサーがつけばいい」という風潮に動物園まで乗ったとしたら、飽きやすい庶民が背を向けたときには動物園は存在価値を失ってしまう。(p67)
ここまで読んで、1期『けものフレンズ』の魅力をあらためて理解した方も多いと思う。
そしてこれまで考えてきた、ジャパリパークと動物園のことをまとめてみよう。
私は、1期『けものフレンズ』において
「野生動物だったフレンズの生態を踏まえ」
「フレンズが受け継いだ動物の特徴を自然に見せる」
超巨大総合「動物園」
であった、と考える。
1期の本編を確認してほしい。各話はまるで動物園の展示を見て回るように進んでいく。例えばサーバルとかばんとボスの前に次々とフレンズが現れる2話前半などは、より顕著である。
ロードムービーを作ろうとしたのではない。順番は、逆なのである。
動物園を順路ごとに巡る感覚を再現することが、ロードムービーを選択した理由のひとつなのだ。
そう考えてから読むと、このたつき監督のインタビューもわかる。
──比較的穏やかな作風であるのはもちろんですが、本作を監督なりにひと言で表わすとどういうアニメになりますか?
たつき:こういうパークがどこかにあって、実際にそこへ遊びにいってみるイメージですね。後ろからサーバルたちを追いかけているような感じで見ていただけると嬉しいです。独特なテーマパークなので、道中の景色や空気感をキャラクターと一緒になってお楽しみいただけると思います。いろいろなエリアを見ながら、行く先々でフレンズたちといろいろなことが繰り広げられます。だから、実はロードムービーの要素もあるんですよ。サーバルたちの旅を、ぜひ見守ってやってください。おそらくニュータイプの読者の方は、吉崎先生とフィーリングが近いのではないかと思っているので、アニメも気に入っていただけるはずだと思います。これまでのアニメのカテゴリーにない、「けものフレンズ」という新ジャンルのアニメを楽しむつもりで待っていてください。よろしくお願いいたします。
1期アニメにおいて、私たちはジャパリパークの全風景をみたわけではない。
にもかかわらず、全話を見終わったときにひとつの巨大な動物園の地図が、自分の心に描かれていることに気が付くはずである。
サーバルに会い→カバと話し→セルリアンに遭遇→オセロットを見て→フォッサと話し…と場面が数珠繋ぎのように記憶されている、それは間違いなく私やみなさんそれぞれの確かな思い出なのである。
1期『けものフレンズ』は徹底した「動物園のアニメ」だ。
そんなアニメ見たことがなかった、だから新ジャンルなのである。
民俗学とクトゥルフ神話と『けものフレンズ』
「ふーん」と思った方、もう少しだけ聞いてほしい。
それまで、キャラクターと設定とテキストとビジュアルで形作られてきた「世界観」だけだったジャパリパークを一貫性のある「世界」に押し上げるために、1期『けものフレンズ』は上記のような「動物園」であることを細部にわたって再現しようした。
それは、たつき監督とチームが12話をかけて吉崎さんの「ジャパリパーク感」からひとつの「動物園」に仕上げた仕事なのである。
ゲーム、漫画とさまざまなメディアで展開されていますが、アニメ化にあたって他メディアとの世界観を統一してほしいといった要望などはありましたか?
たつき:他のメディアを意識してほしいというより「アニメはアニメ独自のイメージでつくってもらえれば」ということでした。その言葉にやりがいを感じつつも、結構プレッシャーもありましたね。制作はわりと同時期から進めていたんですが、アニメが世に出るタイミングが後になってしまったので(笑)。どうしても先に出たもののイメージが強くなりますからね。ただ、コンセプトデザインの吉崎(観音)先生のなかには、きちんとした世界観があるんですよ。だから、さまざまなメディアで展開はしていますが、すべての中心となっているのが、吉崎先生がもつ「ジャパリパーク感」なのかな、という気がしています。
また、喫茶店でたつき監督が吉崎さんから聞き書きをしながら作っていったことを、ニコ生特番『第7回 けものフレンズアワー』においてヤオヨロズの福原慶匡 プロデューサーが証言している。
けものフレンズ スタッフインタビュー、コメント掲載媒体一覧 - シャア専用ブログ@アクシズ
これはすごい、宮本常一の仕事だ。より詳しく例えるなら、佐々木喜善に聞いて『遠野物語』を編纂した柳田国男、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトと友人たちの仕事を書籍化したオーガスト・ダーレスである。
前者は「民俗学」を構築し、後者は「クトゥルフ神話」を後世へつなげた。
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同じように偉い、と持ち上げるのではない。この二人の仕事がそれぞれ、学問と文学の「プラットフォーム」を意図して作ったという点に注目したい。
創作活動はプラットフォームがあることで飛躍する、これはVRコンテンツが『VRChat』などで隆盛していることからも明らかである。
1期アニメが放映されて以降、様々な二次創作群が各地で産声をあげていったことからもわかるように、1期『けものフレンズ』のジャパリパークは創作の「プラットフォーム」たりえる世界を構築したのである。
某フレンズRPGや某ずんぐりむっくりなシリーズ、神話になったり、ペルソナだったり、手書きアニメーション、二次小説、イラスト、コスプレなど、私は1期『けものフレンズ』によってたくさんの「たーのしー!」作品に出会うことができた。
※ミリオンおめでとうございます!
巡り巡ってファーリーというジャンルがあることを知ったりもした。それぞれのジャンルで、アニメや動物を真剣に考えている人たちがいることを知ることができた。
さて、プラットフォームで守られるべきことは何か。それは簡単なことだ。
古参と新参、外部と内部がもめないように、ひとりひとりが「伸び伸びと」「自由に」「気持ちよく」創作活動をするため、その世界の原理原則を守ることだ。
みなさんもそろそろ『けものフレンズ2』が抱えるアニメーションとしての構造上の欠陥を、自分の言葉で説明できるように思えてきたはずだ。
やっとここまで来た。比較して、分析してみよう。
比較:ジャンプ力 および フレンズといつも変なところで出会う理由
①アイキャッチの比較
まず、1期『けものフレンズ』は「動物園のアニメ」であろうとした。だから、あのアイキャッチなのである。
動物を解説するのは飼育員や専門家であり、彼らから見る動物の生態を知るのである。アニメーションも動物園や施設にいるフレンズの様子、と徹底している。視聴者が来園者となるロールプレイにより、意識や感覚は動物園の中に没入するのである。解説者たちは、最高のガイドだった。
対して『けものフレンズ2』1話は、アイキャッチにナショナルジオグラフィック「ビッグ・キャット:華麗なる一族 ネコ科の誕生」の映像を使用している。映像は、主に現実の自然における生息地域で撮影されている。
ここまで書いてきたことからわかるように、ジャパリパークは「動物園」である。自然保護区域や国立公園ではない。
動物園の風景は、自然をどんなに模倣しても、規模・気候風土は本来の動物の生息地域ではない。保護・繁殖・飼育される野生動物と、自然の風土に晒される野生動物の生態・寿命・行動は差異が生じる。どちらが本物ということではなく、人が動物に関わる度合いで生じる違いだ。
ただ、視聴者はもやもやするだろう。それは動物園の中で、動物のドキュメンタリーを見せられるような感覚である。悪意はなくても、イメージを比較させる余地がある。まるで、動物園の方から「目の前の動物の命は本物ではない」と言っている、そう受け取られてしまう可能性があるだろう。
この装置は、没入とは真逆の機能を暗にはらんでしまっている。
②フレンズとの出会いの比較
さらに1期『けものフレンズ』の新しいフレンズの登場シーンにおいて、多くのフレンズは視聴者が奇妙に感じる場所にいる。
2話のジャガーや5話のアメリカビーバーは服を着たまま川や湖にいる。1話のカバ・3話のアルパカ・4話のスナネコはそれぞれ池・高山・砂漠(洞窟)に「ひとり」でいる。それらは、人間であれば「服が汚れそう」「もっと過ごしやすい環境があるのに」という感覚でとらえてしまうだろう。
だが違う。ここは「行動展示」の原理に従って設計された「動物園」である。彼らは、好んで最も暮らしやすい環境を選択してそのエリアにいるのだ。
フレンズを見たときのこのちょっとした違和感はとても大事で、私たちが動物園という非日常の世界を巡っているワクワクを感じさせる装置としてうまく機能しているのである。
『けものフレンズ2』のフレンズの登場シーンに違和感はない。それは人間の会話に人間が入ってくるように自然に始まる。この始まり方はいわゆる「日常アニメ」のように、人間の会話から話が展開する物語の作り方である。
顕著なのが3話の海洋生物であるバンドウイルカとカリフォルニアアシカの登場シーンだが、陸上から始まる。あるいは5話のイリエワニとメガネカイマンの登場は、森の中の陸上である。
後のシーンで海中に潜ったり、川辺にいたりと動物としての生態を補足する描写があるものの、それはまるで物語のために動物という生態の描写を後回しにした印象が残る。
これは、すでに5話の放送後にニコニコ動画に投稿された動画で批評されている。こちらの方は脚本や演出の構成へのアプローチから「物語のためにトラブルを起こすための装置としてキャラクターが配置されている」ことを鋭く指摘している。
追記:脚本が抱える問題点に焦点をあてた動画も投稿された。こちらは、創作における基礎的な技術「目標の階層構造」が成立していないことを中心に、わかりやすく説明されている。
※色々な画像を使われていたのでここでは静かに紹介させていただきます。混乱の中で論理を積み上げた動画を提出されたその姿勢に敬意を表します
「アニメに限らずよくある手法だ、何も問題はない」という意見の前に、ここまで積み重ねから考えてみよう。
1期は「動物園のアニメ」である。
動物だったフレンズの生態が発揮される場面をひとつずつ丁寧に積み重ねることで、単にひとつの作品としてだけでなく「プラットフォーム」にまでなった。
そこでのルールは簡単である。繰り返しになるが
「動物の特徴を受け継いだフレンズの生態を、自然に見せる」
ことが1期アニメのジャパリパークのルールである。
『けものフレンズ2』のアニメーションが抱える構造上の欠陥は、このルールを作品づくりの原理(コンセプト)として採用していないことにある、と私は結論する。
アニメ『けものフレンズ2』の構造上の欠陥
さて、「動物園のアニメ」があるなら主役は動物だろう。ジャパリパークなら主役はフレンズである。1期『けものフレンズ』も『けものフレンズ2』も、主役であるフレンズのキャラクターを考えていることは間違いない。
それは、1期『けものフレンズ』と『けものフレンズ2』の両監督のインタビューを比較してみても明らかである。
もうひとつ明らかなのは、1期の監督は「ジャパリパーク感」「パークの背景や美術」「パークのいろんな場所」「こういうパークがどこかにあって、実際にそこへ遊びにいってみるイメージ」「独特なテーマパーク」とインタビューで繰り返し述べ、しつこいくらいジャパリパークを考えていることがわかる。
視聴者にとって手ごたえのあるジャパリパーク=動物園を作ろうとしていたのは明らかだ。
対して2期の監督のインタビューでは、「パーク」という単語はひとつも出てこない。ほんとうに。F3 でも調べてみた。
冷静になろう。それだけでは単にジャパリパークについて発言しなかったということでしかないし、パークのことを考えていないとは言えない。そもそも監督はアニメ製作チームの一員であり、発言はチームの総意ではない。
インタビューでは1期を「擬人化モノ・SF・自分のアイデンティティを探すという切り口」と分析し「面白い」と評価している。
これは1期の主人公のひとり「かばん」のお話のことである。
ここまで読んできたみなさんなら、1期は「動物園のアニメ」の構造を持つようにアニメーションが作られていることを知っているだろう。
だから『けものフレンズ2』の監督の1期に対する分析は間違いではないが、主人公の物語=脚本やアイディアについての分析に留まっていることがわかる。
1期全体に浸透している原理(コンセプト)、その中でも最も優先するべき第一原理についての分析にいたっていないのだ。
だが、『2』の監督が1期を分析できていないということ、これは憶測である。
根拠もないし、どうやっても裏の取りようがない。
それにそんな原理なくても、おもしろいアニメは確実にある。「日常」「SF」「謎解き」「擬人化」「ほのぼの」「動物」それぞれのジャンルで成功例がある。
かわいい・かっこいいキャラクターが話すだけだったり、誰かが起こしたトラブルを解決するだけだったり、異世界や宇宙という非日常の空間を見せるだけでも、十分にアニメーションはおもしろくなりうる。
ではなぜ『けものフレンズ2』がここまでの5話「脈絡がない」アニメーションに終始してしまったのか?
それは、1期を踏襲してしまったからだ。確認してほしい。
これにより、大きな断絶を抱えたまま制作は動くことになったのである。
構造上の欠陥は、二重に存在している
1期のアニメーションは、動物の生態を見せるために場面から作られている。
2期のアニメーションは、ドラマを見せるために物語から作られている(と、思うがその場しのぎのように場面が差し込まれるので、わからない。複数の原理があっても、第一原理がないことはわかる)
1期はシーンごとに「行動展示」のコンセプト=原理にもとづいてフレンズの動きが決まる。それは1期『けものフレンズ』が作られるときに設計されたジャパリパークのルールでもある。
そして、『けものフレンズ2』も舞台はジャパリパークであり、なおかつ1期の登場人物を出すことで設定を一部「踏襲」すると明示した。そのことで、自動的に『けものフレンズ2』の世界に1期ジャパリパークのルールが働くことになってしまったのである。
問題は、そのことがもたらす影響を『けものフレンズ2』の製作チームが分析できていたのか?ということだ。
さて、この記事の初めのほうで、友人に説明するために分析したとお話したが、では実際に何と言ったのか?
私は例え話が好きだからこう言った。
「もしも『旭山動物園2』っていうのがが現実にできたら?
それは『旭山動物園』の名前は受け継いでいるけど、実際にはこれまでの動物園と変わらなかった。ごく普通の、動物がいる動物園だ。
動物の生態は見られるけど、種の特徴が発揮されるわけではないし、自然な行動が見られるわけではない。
総合的な動物園だから施設は大きくショーやイベントがメインで、動物の野生を見せることはメインじゃない。元の旭山動物園のコンセプトはどこにもない。
そんな動物を見て『かわいいね』って言う客もいる。そんな状況、クソだろ」と。
友人は、動物園と生命倫理について論文を書いたやつだから、たぶんわかったと思う。
1期と『2』を動物園に例えるなら、先進的な「行動展示」の原理にもとづき動物の特徴が自然に発揮されていた動物園であった1期『けものフレンズ』から、『けものフレンズ2』はイベントやショーを中心とするあまり行動展示をおろそかにし、動物の身体的特徴を見せる「形態展示」に終始する動物園へと退行したのだ。
上の現実の動物園におけるショーやイベントは、アニメで言えばサプライズやトラブルに置きかえられるだろう。『2』の物語ではトラブルがシナリオフックになることが多い。
だが視聴者は、1期『けものフレンズ』で見た新しいジャンル「動物園のアニメ」としての作品と、そこに働いていた原理をしっかり覚えている。「動物の生態を自然に見せるアニメーション」が網膜に焼き付いている。
「言葉」でなく「心」で理解できた!現実のフレンズも多いはずだ。
まとめよう。
『けものフレンズ2』の構造の根本には
「設定」から生じるアニメ製作側のズレ:
1期ジャパリパークのルール ≠ 実際のアニメーション
というズレが生じ、かつ
「思い出」から生じる視聴者側のズレ:
記憶しているパークのルール ≠ 実際のアニメーション
という構図で、作品をはさんで二重にズレが生じている。
これが私が思う作品の構造上の欠陥であり、「脈絡のなさ」を生じさせている原因である。
作品の欠陥はいかに取り除かれるか
さて「行動展示」についてしつこく繰り返したので、ここいらでものすごくおおざっぱな言葉に訳してみる。
それは「動物にやさしくある」というルールである。
作品の内部と外部における今後の展開で心配なこと
①そういう思想から設計されていない施設=アニメにおけるエリアやパークにフレンズはいるのだから、脚本の都合によりフレンズがルールを逸脱した大きな怪我に見舞われる可能性がある。
②作品を盛り上げるためだけに、現実ではイベント=アニメではトラブル をいつも起こさなければならなくなる。今後、現実でのイベントは増えてもアニメ本編の物語が不安定になる恐れがある。
③今はよくても、続ければいずれ視聴者は減少する。それは動物園全体、アニメ『けものフレンズ』というコンテンツの衰退にほかならない。
「口だけじゃなくて代案を出せや」と言われそうなので、この欠陥にどう対処するか二択を提示したい。
1、シーンからアニメーションを見直す(大変な方法)
多くの人に不可能だと思われるだろう。製作陣はなおさら。
しかし「事実は小説より奇なり」と言う。現実の旭山動物園の例を『戦う動物園』より簡単にまとめてみた。
旭川市旭山動物園は1976年に開業する。入園者は40万人台、50万人台と増えていくが、時代とともに来園者は減少してゆく。途中でコースターなどの大型遊具を導入するものの一時的にしか増加の効果はなく、1992年には来園者が36万人にまで減り、さらに翌93年には動物のエキノコックス感染に見舞われた。しかし旭川市に計画書を提出し、工夫した施設を作り上げてゆくことで、2006年にはついに年間200万人の来園者を記録する。96年の最低来園者数26万人という記録から、年間来園者200万人の大人気動物園にまでなったのだ。
と、このようにまとめるのは簡単である。だが実際には、野生動物を丁寧に研究し、それを生かす計画を考え、計画書は何度もたらい回しにされ、無視され、理念を説明し、予算を確保し、施設をひとつずつ作り、来園者に説明して、やっと「行動展示」がおもしろいことを知ってもらえたのだ。
動物園の運営とアニメの製作を、容易に比較はできないことを承知の上での提言である。
アニメ製作陣も大変だけど「見直せる可能性がない」とは言えないのだ。
そもそも、私が思う『けものフレンズ2』の構造的な欠陥は「どこ」から生じたのか?
みなさんは考えたくならないだろうか。
つまり「犯人はだれか」ということだ。
結論から言うと、私はその方法を採用しない。それだけ。
アニメの製作は、チームの仕事である。だから私が製作陣に指摘したいのは「誰も分析をせず、指摘もせず、意見もせず、考えもしなかったのか」ということだ。
はっきりと、これはチームのミスである。動物園についてあらためて調べたり、あるいは1期のスタッフと連絡したり、アドバイスをもらうこともできただろう。監督も脚本家も演出も打ち合わせの中で指摘する機会はあったはず。もしかしたら気づいていたけど、権力がなかったり、気が弱くて言えなかったりしたのかも。
だが、やはりチームのミスだ。責任の大小はあるだろう。私が望むのは、誰かをクビにすることでは決してない。ミスは単にミスである、あげつらっても改善はしない。
動物園は動物の見せ方を改善した。アニメはアニメの見せ方を改善すべきだ。
分析し、内部で検討し、良いアニメーションとして作品に反映してほしい、それだけである。特に、監督や脚本家や演出は分析がどうしようもなく甘かった。その評価は業界の内部でも、また別に決まるだろう。だからミスを認めて仕事をつづけてほしい。
ただし けものフレンズプロジェクト テメーはダメだ
混乱を治めるための説明義務がある。
製作委員会のシステムに明るくはないが、トラブルが起きたとき誰もが保身に走る脆弱なシステムであることはわかる。
だからまずは代表となる企業と、機能している窓口を作ってほしい。作ってほしい、というだけだとやはりつまらないので、以前起こった署名運動のように、正当な手続きで企業に具申するようなアクションを起こしたい。
今まで怒りにまかせて誰かをなじったときもあったが、それはやめようと思う。
誹謗や中傷という方法を私はとりません。
2、ジャパリパークから移動する(安易な方法)
『けものフレンズ2』は最初から1期を踏襲せずに、設定からもっと独自色を出していればこの構造的欠陥は生じようもなかった。
「1期はああだったけど、2はこんな感じかー。なるほどねー」で済んだ。
「1期よりいいじゃん」というファンも増えた。
「1期は超えないけど、まあこういのも路線としてあり」みたいな害のない上から目線もあった。
私は「コメディ」なんか見てみたいと思う。ガンダムでファイトする世界ぐらいぶっ飛んだら最高だ。
思い切ってアレンジしてもきちんと練れば、コンテンツのポテンシャルがあるから色んな世界線があった。
これらの未来は全部、可能性が失われかけている。
製作陣は構造の分析が甘いまま複雑な建物に入ったようなものだから、とりあえず自分が知っている範囲のこと、あるいは得意なことしかできなくなっている。
これは1期『けものフレンズ』のシーンの焼きまわし、もしくは過去の作品を作った際に培った技術や経験のことである。1期を踏襲する前者の方法が欠陥を抱えていることは説明したが、後者は新しい作品を作るにあたって十分な武器になる。
だから舞台ごと移ればいい。別の島とか、極端な話宇宙とか、視聴者が1期のジャパリパークをイメージしない場所に移動することで、少なくとも視聴者が感じるズレは軽減される。
一番ありえそうなのは、パークの人工的な地下施設とかだろうか。そういう閉鎖的で、パークのルールよりも人間のルールが効力として上回るような舞台装置であれば「人間界で活躍する超人」としてのアニマルガール像になるだろう。アメコミみたい。
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新年になってからも、屈強なコウモリのフレンズとジョーカーさんはごっさむちほーでほとんど休みなく働いています。心配です。
最後に、『けものフレンズ2』でここは素晴らしいと思ったところ
1、 キクチミロ さん
生きているときに、思いもかけず一流の芸術家に出会えるということほど嬉しいことはない。この方の色彩は、悲しみに暮れる人の心にやわらかな陽光をもたらすような、温度をもった作品だ。そういう芸術家は、いつの時代も人間にとって必要な存在なのである。あとサムネを再現してたの見て笑わなかった人いる?
2、 オーイシマサヨシ さん
全然音楽に詳しくないので、どういう言葉もないです。「やっぱ、オーイシお兄さんの曲はいいな」と思いました。1期の映像に載せると「ああ、あの旅は嘘じゃなかった。ありがとう」を感じます。
3、 みゆはん さん
ナミチスイコウモリはんだったり、スナネコはんだったり、それだけじゃなくてふつうアーティストがここまでコンテンツに関わってくれるものなのか、と間違った基準を持ちそうになる。1期のEDはみゆはんさんの曲でよかった、と思う。稀有なアーティストであり、生粋のエンターテイナーだ。ツイッター芸人ではない。
まだ『けものフレンズ2』の良いところはたくさんあると思う。
今回は構造的な分析に終始したが、アニメーションはまた別だ。
それにまだ5話である。今日の夜に6話が来る。
罵倒するのは簡単だ。私はその方法を選ばない。
「お前も投稿すーるんだよ」の精神でいきたいと思いますやんか。
6話予想
予想1 かばんさんは研究者である。あと正式なパークガイドになった(なぜか)
予想2 アムールトラは治る(なぜか)でも根本原因がある→それを破壊せねば!
予想3 やっぱり人口の施設か遺跡は出ると思う。それと珍獣。
1期『けものフレンズ』のかばんについて書く時間がないので、つづきを書きます。
1期『けものフレンズ』はたくさんの創作する人、したいと思ってた人たちの心に火をつけてくれました。そのおかげで素晴らしい作品と出会うことができました。
その全てに感謝します。
2019.2.18
1期『けものフレンズ』を見た方へ、超おすすめ記事!
このブロマガを知ったのは記事を書いたあとでした。
3DCGのモデリングからのアプローチに留まらず、構図・脚本・構成など微に入り細に入り、手取り足取り解説されています。
なぜ私は1期放送後にここにたどりつけなかったのか、悔やまれます。
ぜひ、アニメが好きな方に読んでほしいです。
※ガルパンの連載も楽しみにしております。
追記
2019.2.19 誤字を訂正。一部表現を修正。
2019.2.20
章「比較:ジャンプ力 および フレンズといつも変なところで出会う理由」の
「それではまるで、目の前の動物の命は本物ではないと言っているようなものだ。」を
「動物園の風景は、自然をどんなに模倣しても、規模・気候風土は本来の動物の生息地域ではない。保護・繁殖・飼育される野生動物と、自然の風土に晒される野生動物の生態・寿命・行動は差異が生じる。どちらが本物ということではなく、人が動物に関わることで生じる違いだ。
ただ、視聴者はもやもやするだろう。それは動物園の中で、動物のドキュメンタリーを見せられるような感覚である。悪意はなくても、イメージを比較させる余地がある。まるで、動物園の方から「目の前の動物の命は本物ではない」と言っている、そう受け取られてしまう可能性があるだろう。
この装置は、没入とは真逆の機能を暗にはらんでしまっている。」
に加筆・修正。他、一部表現を修正。※ご指摘ありがとうございます
2019.2.22
おすすめを追加。
2019.2.23
タイトル修正。
追記:本記事では「行動展示」に焦点をしぼったため、新書『戦う動物園』のもうひとつの主役ともいえる「到津の森公園」に言及できなかったことが悔しいです。機会があれば、この動物園のこともご紹介したいと思います。
2019.2.24
リンク先を追記。
2019.3.14
ダーレスについての記述を修正。※ご指摘ありがとうございます
2019.4.3
動画ができました
2019.4.12
一部文章を追加・修正
※リツイートやコメントくださった方ありがとうございます
『けものフレンズ2』について書きました。よろしくお願いします。
— Kousuke (@cha_na_maru) 2019年2月18日
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アニメ『けものフレンズ2』の構造上の欠陥ージャパリパークは「動物園」である - アニマゲhttps://t.co/bC5WnBgRBB